■さよなら留萌本線の旅

北海道の山々は続々と初冠雪し、もう冬がそこに来ている。

本年度のロードスター旅も今年は最後にしたい。これから暫く新しい仕事に集中していくつもりだ。自分も50代になり、時間が余りない。あと10年が肉体的に思い通りになるリミットだ。悔いの無い様にやりたい。

 

さて、今回は9月に発表された「JR留萌本線廃止」のニュースだ。

報道によると少なくとも2023年9月末には石狩沼田-留萌間の廃止が決まり(半年間前倒しした2023年3月末廃止という可能性もあるらしい)、また深川-石狩沼田間も2026年3月末に廃止になる事が決定したとの事。

 

私は鉄道マニアでも何でもないのだが、このニュースは少々ショックを受けた。留萌本線は高校生の頃は友達と海水浴に、大人になってからは輪行に使った事がある。出掛けた際に駅でトイレを借りた事もある。

 

深川-留萌間の路線距離は約50キロ、今回その全ての駅を見て回り、記念とし、そのまま増毛でキャンプをしたいと思う。

まずは深川駅(ふかがわえき)だ。この駅は函館本線の途中駅だから廃駅にはならない。この深川駅から枝分かれした留萌本線が将来廃線になる。

 

ロードスターは先週、釧路に行った時の汚れたままだ。今日も雨が降る予報だからだ。汚いまま乗るのは気が進まないが・・。

           深川駅の上に表示された11駅が消滅してしまう
           深川駅の上に表示された11駅が消滅してしまう

■1/11駅目

北一已駅(きたいちやんえき) 1955年(昭和30年)開業。

廃駅となった朱鞠内湖そばの宇津内仮乗降場を解体後に再利用して建てられた駅。

北海道の駅では良く聞く話だが、地元住民の手によって解体した建物が運ばれ、ホームが作られたらしい。自家用車の所有が難しかった時代、駅は地元住民にとっては何としても欲しいものだったのだろう。

 

60年以上の時が流れ、令和3年度の平均乗車数は、1人/日となってしまった。

つまり、ここから通勤や通学でこの駅を使っている人はたった1人となってしまったのだ。

(乗車数=乗る人、乗降数=乗る人と降りる人の合計)

見れば見る程、味わい深い建物だ。

              長い間、みんなに愛された駅だった・・
              長い間、みんなに愛された駅だった・・

建物の備品の鏡には提供した「江口勉強堂」の広告入り。

今はどうなっているのか検索してみたら、「江口正文堂」という名前の事務用品店が、かつて深川駅のそばにあったようだ。(2014年のストリートビューで確認)このお店が元「江口勉強堂」なのではないか?

現在はコインランドリーになっているようだ。

留萌方面を見る。1955年(昭和30年)に地元住民の手で作られたホーム。

(勿論その後JRによって改修済みだが) 当時の地元住民の笑顔が想像出来る。

2/11駅目

■秩父別駅(ちっぷべつえき)

1910年(明治43年)開業。人口2,400人余の街の駅として現在もかなり活躍していると思う。1日の平均乗車数27人。地元に高校が無い為、深川・旭川・滝川へ通学する高校生の利用が多いと思われる。

懐かしさ満点のカラフル&プラスチックの椅子が並ぶ。

留萌方面を見る。

3/11駅目

■北秩父別駅(きたちっぷべつえき)

1956年(昭和31年)開業。

wikipediaによると、この建物は開業当初からのものだが、JR北海道や秩父別町どちらの財産でも無い事が判明しており、恐らく地元住民の手で建てられたと思われるという。何とも面白いエピソード。多分近所の人に聞けば分かると思う。

令和4年乗車数0.5人/日。

整備された木の板のホーム。

建物倒壊の恐れがあり、駅舎には入る事が出来ない(後から来た鉄道マニアが入っていたが・・)。恐らく裸電球周囲の四角い穴はかつては何かのカバーがされていたのだろう。

入れないのでガラス越しに内部を撮影。

塗装コンパネが壁材になっている。

千羽鶴はいったい誰が・・。

4/11駅目

■石狩沼田駅

1910年(明治43年)開業。

人口3,200人余の街の駅。立派な建物だ。

沼田町にあるのに何故駅名が「石狩沼田駅」と長くなったのかと言えば、群馬県に後から「沼田駅」が出来たから。(一番最初に駅が出来た時=明治時代 は沼田駅だったが、大正時代に後から出来た群馬の沼田に名前を譲り、石狩沼田駅に改称されている)

じゃあ何故石狩かと言うと、大昔は沼田町は石狩国管轄だったから。

 

ちなみに現在もある札沼線(さっしょうせん)という路線は、当初その起点は札幌で終点はここ沼田だった。今は札幌-北海道医療大学となっている為、札沼線という名前自体が矛盾している。

 

こんな事調べたのは初めて。疲れた^^;

 

私はかつてこちらの駅で3回ほどトイレをお借りした事がある思い出の駅。

 

令和3年度乗車数58.6人/日と利用者数はそれなりに多い。

 

第一段階でここ石狩沼田から終点の留萌までが廃止の予定だが、理由としては沼田町や秩父別町の人は留萌市の住民に比べ、廃止による生活の影響が大きい事が考えられる。

留萌には高校・病院・買い物の為の施設が揃っており、自己完結できるが、沼田や秩父別には過去に高校が消滅してしまっている。病院なども十分な施設がない。

おそらく沼田から深川に至る各地域の皆さんには今暫く鉄道をお使い頂き、交通体制を整えようという配慮なのだろう。

今回見て回った中で最も色褪せていた駅名標(駅名標という名前である事を今回知った)。この駅名標は南を向いており、直射日光が当たり続けるのが理由だと思う。

深川方面を見る。

ご意見掲示板。

皆さんの心のこもったメッセージが

沢山書かれていた。

5/11駅目

■真布駅(まっぷえき)

1956年(昭和31年)開業

令和3年度平均乗車数2人/日

 

この建物、かなり年季が入っている。そして小さい。

田んぼの真ん中にあり、ぱっと見には物置にしか見えない。ナビがあるから的確に辿り着けるが、なければ通り過ぎてしまう位だ。その昔、賑わっていただろうこの駅は現在一体誰が利用しているのだろうか。

自分が子供の頃は

こういった板壁の家が

まだあったよな・・

裸電球が哀愁を誘う。建物自体はしっかりしている。田んぼの真ん中の吹きっさらしの建物が長年風雪に耐えてきたのかと思うと感慨深い。

6/11駅目

■恵比島駅(えびしまえき)

1910年(明治43年)開業。駅舎には「明日萌(あしもい)驛」という駅名が掲げられているが、NHK連続ドラマ「すずらん(1999年)」の舞台にもなった駅で、当時のセットがそのままになっている。

駅名標が若干傾いている・・。

ドラマでも使われた駅舎は洒落ている。この日、建物の中には入れなかった。中にはドラマの様子さながらのセットがあり、俳優を模した人形が設置され、知らずに建物に近付くとギョッとする。(昔、何度か駅舎内の見学をした事がある)

たまたま留萌方面から車両が走って来た。

普段数人しか乗っていないであろう時間帯に、今日は随分人が乗っている様だ。車両内の人の動きが慌ただしい。撮影の為に右往左往しているのだ。廃線を惜しむ沢山の鉄道マニアだ。

7/11駅目

■峠下駅(とうげしたえき)

今やこの駅の周囲には目立った建物は無いが、かつては林業で栄えた集落だった。

1989年(平成元年)迄は近所に「峠下小学校」もあった位だ。

令和3年度乗車数0.4人/日

入口の「JR」の文字が大きい。

留萌方面を見る。この駅には線路が2線あり、ホームも2つある。列車交換(単線区間で、列車同士がすれ違う事が出来る箇所)が可能な駅だ。

カラフルな椅子はお決まり。事務室から待合室に煙突が伸びているのは、少しでも室内を暖める補助の為だったのだろうか。

8/11駅目

■幌糠駅(ほろぬかえき)

1910年(明治43年)開業

令和3年平均乗車人数0.8人/日

車両がそのまま駅舎になっている。基礎のコンクリートがかつての駅舎の広さを伝えてくれる。真冬には一体どういう風景になるのだろうか。

周囲には民家が見られる。

留萌方面を見る。

駅舎内の様子。サッパリと綺麗。

こういった駅舎には必ず「駅ノート」が設置されている。これはJRではなく、鉄道マニアが用意したものと思われる。そして必ずと言って良い程卓上カレンダーも設置されており、駅ノートに日付を書く際に、スムーズに書けるようになっている。

ホント、鉄道マニアはこういう所の気遣いが細かい。

駅ノートは読み出すと止まらないからチラ見して次へ行く。

9/11駅目

■藤山駅(ふじやまえき)

1910年(明治43年)開業

パッと見洒落た雰囲気だが、寄せ集めの材料で補修しているらしい。

サイドから見るとまるで手抜き工事の様だ。

元々はもっと大きな駅舎だったらしいが、事務室が解体され小さくなった。固定資産税と管理費の低減の為らしい。

 

令和3年度平均乗車数0人/日。

遂に乗車数0人の駅が・・

深川方面を見る。

駅舎内の様子。

ラストの駅が近づいて来て、

精神的余裕が出てきたので

駅ノートをペラペラめくってみる。

鹿児島から遥々来たとか、昔この駅から通学していたとか、思い思いの言葉を残している。一文一文じっくり読むと感傷的になってしまう。

10/11駅目

■大和田駅(おおわだえき)

1910年(明治43年)開業だが、ここは留萌までの石炭を運ぶ馬車駅として元々1907年(明治40年)に敷設されたが、鉄道開通と同時に大和田炭鉱の所有者「大和田荘七氏」の寄付により開業したらしい。

当時の大和田氏が留萌本線廃線を知ったとしたら信じられないだろう。

上方には国道233号線を走る車両が見える。

令和3年度乗車数1.4人/日。

駅舎内の様子。

駅の目の前に民家などの建物は見えない寂しさ。かつての駅舎の基礎コンクリートが撤去されず、現駅舎が隅に置かれている。

そばの集落には

かつての小売店やガソリンスタンドも・・

11/11駅目(終点)

■留萌駅(るもいえき)

1910年(明治43年)開業。

留萌本線終点駅。留萌市は人口22,000人余の街。2016年まではこの先の旧増毛駅が終点駅だった。

令和3年度乗車数35.2人/日。意外にも石狩沼田駅よりも少ない乗車数。

沢山のノスタルジック&最低限の駅舎を見た後の、近代感・安心感は半端ない。1967年(昭和42年)築なんだけどね・・。よく見ると天井の照明が経費削減の為か、全てが点灯していない。

立ち食い蕎麦でも食べようかと思ったら、到着が遅すぎて(PM2時閉店)食べられなかった。1日に数十人の乗車しかない駅だが、一体どれ位の客がこの店を利用するのだろうか。駅前に広い無料駐車場があるので、タクシーの運転手や地元の一般の人も沢山利用していそう。

という事で駅前の青い建物、軽食喫茶「きたの」さんに。このお店もかれこれ30年以上通っている。(2~3年に1度位の頻度だが・・)

店内の昭和感がたまらない。

 

このお店の初代オーナーから10年位前に聞いたのは、1987年(昭和62年)までは羽幌線があって、留萌駅から日本海側に沿って稚内迄線路がつながっており、当時は小平や鬼鹿などの地域から留萌まで、通学して来ていた高校生が沢山いて、時間潰しにこの喫茶店を利用して貰っていたものだと、懐かしんでいた。

ここから留萌駅が一望できる。

注文したものが来る迄、留萌本線について考えてみた。

 

深川駅から留萌駅までの利用状況を今日、実際この目で見ると、廃線になっても仕方がないとは思う。

 

確かに皆の人生の記憶にある鉄道が無くなってしまうのはとても寂しいが、

現実的にはコストが低いバスの運行の方が、バス停を細かく設置したり、希望の場所で停車してくれ、便利になるだろうと思う。(バスの運行も相当な赤字が予想できるが)

物流については今は道路が整備され、性能の良いトラックがある。

  

想い出が無残に消えて行く様な気もするが、そんな事はない。現在の旧増毛駅の利用を見るとそう思う。銀幕がTVに、そしてネットになった様に、時代は変わる。仕方がない事だ。

私はここの昔ながらのナポリタンが好きだ。アツアツの鉄板でジュウジュウいって提供されるのだ。昔は500円位だったが、今は750円に値上がりしている。

2代目に「駅がなくなるのは寂しいですね」と言ったら「お店は続けますので、また来てください!」と。安心した。「モチロンまた来ます!」

駅巡りも無事終え、

今度は増毛のキャンプ場に向かう。

雲の様相が見応え満点。

増毛リバーサイドパークオートキャンプ場に到着。

電源ありサイト(4,000円)を借りた。

予約の時に自分の希望のサイト19番で頼んでいた。

 

こちらのキャンプ場は原則的に希望のサイトを選んだりは出来ないとの事。

炊事場に近い順に客を入れていくそうだ。私は予約時点で具体的なサイト番号を伝えて希望の予約が出来た。前も使った事のある、気に入ったサイトだ。

白滝高原キャンプ場の様にネットで好きなサイトの予約が出来る様にすれば良いと思う。

 

また生ゴミと・空き缶・ペットボトルは回収してくれるが、一番沢山出るその他の燃えるゴミなどは全て持ち帰りとの事だ。

結構イイ使用料を支払うのだから、ゴミ位回収して欲しいが・・。これ位の料金を支払って持ち帰りというキャンプ場は記憶にない。

(私は昔からこのキャンプ場を利用させて貰っているが、昔は全てのゴミを回収してくれていた)

 

キャンプ場に良くあるパターンで有料のゴミ袋を1枚100円とかで売って欲しい。100円なら絶対買う。一人でも結構ゴミは出るものだ。これが家族だと・・。

みんな焚き火でゴミを燃やすんだろうな。石油系を焼くと焚き火台にシミがついたりするので好きではない。

19番サイトはちょっと狭くて持ってきたタープを張るのをやめた。

(後方は小高くなっていて実用面積が狭い)

しかし、焚き火がすぐに出来る様、焚き火台などをセッティングした。

笹藪の後方は暑寒別川が流れている。川の音のお陰で様々な雑音が掻き消される。もちろん自分が出す雑音もだ。これは本当に素晴らしい。

買い出しに増毛町市街に出掛ける。キャンプ場からすぐの所に街があり、とても便利。まずは1931年創業の菓子店の「中村屋」さん。2年に1度は立ち寄る店だ。

ここでアンコ系のお菓子を購入。

その後スーパーに寄った。

増毛のスーパー「チューオー」さんに寄って自炊の為の食材を探したが、自炊が面倒になって総菜コーナーから寿司とイカの刺身などを買って来た。

マグロやホタテの刺身も食べたかったが、小さいスーパーのせいか無かった。

でも、充分満足。地元の酒蔵「国稀」の日本酒を持ってきたお猪口に注ぎ、チビチビ飲みながら刺身を食べた。

外は寒い上に雨まで降って来て、テントに籠っていた。

電源ありサイトなのでセラミックヒーターを稼働させて、暖かい。

コット(ベッド)に寝っ転がりながらテント上部を撮影。このテンティピのテント、構造が複雑で、テントを張る時に沢山の紐が引っ掛かり少し面倒。(その紐で寝っ転がりながら天井の空気口の調整が可能)。ただ、細かく見ると縫製がしっかりしていて価格なりの事はあるようだ。

急激に眠くなり、歯を磨いて何とPM7時に!就寝。

(この日もAM3時に起きていたので眠くなるのも仕方ない)

AM1時、目が覚めた。外気温は7℃。テント内は15℃あって快適。一応サーマレストを敷いて寝ている。

パッチリ目が覚めたので中村屋さんのどら焼きをコーヒーと共に頂こう。

 

私は少量のお湯を沸かすのにシエラカップで量ってそのまま沸かす。面倒も少ないし、無駄もない。そしてその場合のシエラカップはチタンに限る。(熱伝導が悪いので持ち手が熱くならない)

 

あと、コーヒーはシエラカップで飲む事はない。気分的にコーヒーカップで飲む。

 上の画像はお土産。ちなみに今回も妻を一応誘ったが、「寒いからイヤ!行ってらっしゃい」との事だった。

軽く二度寝をして、まだ真っ暗なAM4時から食事。頭の中は気持ちイイ早朝ドライブのイメトレが出来ている。

 

トースト(絹艶)を火で炙ってトマトのせ。また最近これにハマりだした。数分で完成する手軽さが自分向き。トマトの冷たさとトーストのカリカリ感が良い。ホットサンドも昔ハマったが、作るのに若干時間が掛かる。

AM5時半、夜明けと共に片付け開始。暑寒別川の水の音が雑音を掻き消してくれるので、早朝からノビノビと片付けが出来る。

今日の予定は自宅に帰り、町内廃品回収の廃品出し、家の左官工事(モルタルが剥がれている箇所がある)、そしてこのHPを作って、仕事をする! やる事満載だ。ボヤボヤしていられない!

今日のキャンプ場は50%位の利用率。我がテントが煌々と輝いているのは白熱灯を点灯させているから。暖房兼照明になる。

今日は一桁気温になったが、この他にセラミックヒーターを稼働させて、テント内はイイ感じに暖かい。

AM6時、皆さん寒そうに縮こまりながら

続々とトイレに向かっている。

私はそ~っと出発。

朝ドラは大変気持ち良い。

寒いがオープンドライブ。

ついこの間まで夏だったが、完全な秋だなぁ。

遠回りして黄金岬キャンプ場を偵察。

3張りのテントがあった。

昨日行った「峠下駅」の前を通り掛かると、朝っぱらから山奥の駅に沢山のクルマが。「そうか、鉄道マニアが撮影するんだな?」私も立ち寄って、鉄道マニアの様子を見に行く事にした。

画像には写り切っていないが、結構沢山の人が撮影の為にウロウロしていた。しかも車両から何人か人が降りて来たぞ。1日に往復14本しかない駅なのにどうするのか??次のが来る迄待つの?

ちなみに上の画像は前に人が二人いて、人の頭の上から撮影している。

写真だけではなく、ビデオ撮影している人も。私は写り込まない様に細心の注意を払って歩いた。

次の恵比島駅も行ってみた。ここはクルマが走る道路より、鉄道の方が長距離を走る為、先ほど峠下駅で撮影した鉄道車両より私の方が少し早く到着した。

ここでは2人のカメラマンが撮影していた。邪魔にならないように細心の注意を払って駅構内を歩いた。

その2人(モザイク)。

恵比島駅前。かつての旅館が建っている。

もうこの旅館が再開する事はないだろう。

鉄道マニアは凄いね。昨日各駅を回った時も、結構沢山の人が撮影していてバッティングしたんだけど、レンタカーナンバーが多かった。つまり北海道外から来ているって事。

私にはそこまでする気持ちは良く分からないが、帰る時も撮影ポイントになりそうな踏切や橋を注意して良く見てみると結構な割合で鉄道マニアが凄いカメラで車両を狙っているのを見掛けた。執念すら感じた。

今でさえこの熱気だ。これがいよいよ廃線の日が近付いてきたらどの様な事になるのだろうか。鉄道マニアをウォッチングするのも面白いかも知れない。

 

という事でこの旅は終了。今年のキャンプ旅も終了。今年の活動は昨年、一昨年と違い、試験勉強の悩みが無かったのが良かった。

 

ではまた^^/