■2年ぶりの宗谷・・・

私が最も好きなキャンプ地は「道立宗谷ふれあい公園キャンプ場」の「キャンピングカーサイト」です。

大人気のサイトの為、いつも予約で一杯なのですが、金曜日にネット上で確認したところ、キャンセルによる空きなのか1サイトの空きがあって、すぐさま予約を入れました。

昨年はいつも予約が一杯で行けなかったので2年ぶりです。

10年位前は予約なしでも大抵利用出来たのですが。。

 

私も様々なキャンプ場に行きましたが、最も気に入っているサイトです。ちなみに第2位は「兜沼公園オートキャンプ場」の「キャンピングカーサイト」です。

 

どちらも’キャンピングカーサイト’ですが、どんな車両でも大丈夫です。

途中、雨に降られる可能性もあり、ロードスターでの出発は気乗りしなかったのですが、このままでは夏が終わってしまうので、雨に降られぬよう祈り出発。

上の画像は剣淵の田舎道です。

ハイ、雨です。ロードスターも年代物なのでなるべく水に濡らしたくなくなっています。そして帰宅してからの洗車も大変なんですよね。

昼食はJR音威子府駅で夏季&週末限定で復活している音威子府蕎麦でも・・と思って来たのですが、思いのほか混みあっており、1時間待ちの可能性があるほどだったので今回は諦めました。

運営者は音威子府駅前で宿泊施設を経営されている方らしいです。

 

ただメニューを見ると、物価が高騰しているとは言え「常盤軒」さん時代との価格の違い、かけ蕎麦370円が→700円、天玉蕎麦520円→てんぷらレジェンド900円と、駅の立ち食い蕎麦とは言えない価格になっています。

また私の好きだった月見蕎麦はメニューにありません。

 

価格については運営上仕方がないのかも知れませんが、過去の遺産を利用した完全な観光客相手の商売となっているようです。

果たしてかつての「常盤軒」さんの神通力がどこまで続くか分かりませんが、ここに音威子府蕎麦が存在している事に感謝し、応援しましょう。

 

関連ネタ→「さよなら畠山製麺の旅」地元の製麺所の畠山製麺さんが廃業するという事で最後に麺を買い求めに行った時の話です。

続いては同じ音威子府村にある「北海道命名之地」を訪れました。

天塩川の畔にあり、当時の北海道知事だった高橋はるみ氏が書かれた記念碑が建っています。

この場所は探検家であり地理学者でもあった松浦武四郎(まつうら たけしろう)が交流を持ったアイヌの古老が住んでいた所であり、その古老から教えて貰ったある言葉「カイ」が北海道の命名に関わってきます。

 

北海道民の99%は北海道が何故北海道と命名されたのか知らないハズです。

簡単にまとめました。

 

北海道(ほっかいどう)」という名前の由来

「北海道(ほっかいどう)」という名称は、明治時代に新政府によって名付けられました。それ以前、この地域は「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれていました。

 

命名の背景

明治2年(1869年)、政府は蝦夷地を開拓し日本の領土として統治するために、新しい名前を必要としていました。その際、松浦武四郎 が大きな役割を果たしました。

松浦武四郎は、アイヌ語を研究し、この地にふさわしい「北加伊道(ほっかいどう)」という名称を政府に提案し、これが採用されて現在の「北海道」となりました。

「北海道」の意味

  • :日本の北に位置することから。

  • :元は「加伊」。周囲を海に囲まれていることから。

  • :律令制の「道」に由来し、当時の行政区画を意味します(例:東山道、西海道など)。

 

「加伊」とは?

「加伊(カイ)」は、アイヌ語で「人間」や「この地に生きる人々」という意味があります。つまり「北のカイ(アイヌ人)の道(地域)」という事です。

 

松浦武四郎は、幕末から明治にかけて蝦夷地を数度にわたって探検・調査し、アイヌの人々と深く交流しました。

彼は、当時差別されていたアイヌ民族に対して尊敬と共感を抱いており、彼らの文化・言語・生活様式を詳細に記録しました。

その文脈の中で、「加伊(カイ)」を「この地に根ざして生きてきた人々」として紹介しており、それは和人(本州以南の日本人)ではなく、先住のアイヌ民族を意味していると考えられています。


松浦武四郎の考え

松浦武四郎はアイヌ民族を単なる調査対象ではなく、この土地の正当な住人であり文化を持つ民族として尊重していました。そのため、北海道という名前の命名においても、アイヌ語の「カイ」を用いることで、彼らの存在を正式に地名に刻もうとしたのではないでしょうか。

 

つまり「北海道」という名前には、アイヌ民族への敬意と共存の思いが込められているのです。

 

ちなみに和人が最初に蝦夷地に進出したのは鎌倉時代末期〜室町時代(13〜15世紀頃)と言われています。

当時、本州北端の津軽地方や松前地方(現在の渡島半島)から、交易や漁業目的で北海道南部に渡る人々が増えていきました。

 

そして17世紀初頭には松前藩が徳川幕府から蝦夷地支配を正式に認められ、蝦夷地南部は本格的に和人の統治下に置かれ、移住が本格的に進んでいきます。

ああ、雄信駅か・・。確か今年の春に廃止になった駅だな。

まだ案内看板はそのままなんだ・・。ちょっと寄っていこう。

正面に駅舎が見えますが、解体工事中の様で立ち入りが出来なかった・・。

 

思えば今迄、幾度か立ち寄った事がありました。

過去の画像を少し・・

上)2015年に訪問した際の雄信内駅。

人影は全くありません。

恐らく乗降者もほぼゼロだったでしょう。

2015年当時、駅周辺にはまだ廃墟が見られましたが、

現在はほとんど潰れて草の陰になってしまっています。

2019年当時の雄信内駅。かなりヤレてはいますが現役の駅でした。

1977年当時の駅とその周辺の航空写真。今は人口ゼロですが、昔はそれなりに賑わっていた様です。雄信内小学校も近くにありました。

2021年当時の雄信内小学校跡地。

現在は更に草で覆われており、

立ち入りが困難になっていました。

2021年当時の画像です。

駅には駅ノートがあって、訪問者が思い思いの事を書き残していました。

2018.6.22(H30.6.22) PM3:55着

 

〇〇〇〇(男性Aさんのお名前) □□□□(男性Bさんのお名前) 

 

この駅より 昭和30年~33年まで中学校に通学。

おおよそ60年ぶりです。

駅舎が残っており少し安心しました。

近くには人家がなくなっており、さみしいかぎり。

宗谷本線は永久に頑張って下さい。線路保守しっかりやって下さい。

脱線なきように!

 

・・・60年ぶりに同級生二人で訪れるとは。いいなぁ。

昭和30年からという事は、この駅舎が完成して2年。

まだピカピカの駅舎だったのでしょう。

上)北海道新聞 どうしん動画ニュースに最近の雄信内駅のニュースがありました。廃駅後に100周年記念の催しがあったようです。鉄道ファンの行動力は凄いものがありますね。

続いて訪れたのは「元幌延町立 安牛小学校 跡地」です。

田舎道を走行中に学校らしいものを発見し、立ち寄りました。

私はこういった廃校を眺め、その地域の発展と衰退を想像する事が好きなのです。

 

既に校舎や体育館は取り壊されておりますが、教員住宅が残っているだけです。

この小学校は大正7年(1918年)に開校し、昭和57年(1982年)に閉校しました。

 

今では周囲に住宅すら殆ど見当たらない土地に、子供たちが集う校舎があったとは・・。信じられません。

北海道の田舎はこういった所が沢山あり、何とも言えない気持ちになります。

続いては幌延にある「フードインタイムリーイトウ本店」さんに買い出しの為立ち寄りました。

地方に行く場合、買い出しの為のスーパーをどこにするかが非常に重要です。

余り小さいスーパーの場合、予定通りの買い物が出来ません。

 

私のグーグルマップには「キャンプ場」「日帰り温泉」「飲食店」そして「スーパー」の印が一杯です。便利な世の中になりました。

品揃えも豊富で満足出来る買い物が出来ました。

さあ、道道121号線を北上し、トナカイ牧場でも寄ってみようと思いましたら、通行止めで封鎖されていました。

その場で状況を調べましたら土砂崩れで8月17日から通行止めになっているようです。これはアクシデント。わざわざここまで来たのに・・。

仕方がないので再び国道40号線に戻り、ノンビリドライブです。

日差しが少々強いですが交通量は殆ど無く快適です。

稚内市に到着。向こうに見える海は宗谷海峡です。

そして久々の「道立宗谷ふれあい公園」に到着です。

こちらの施設群は兎に角立派で、私が最も好きなキャンプ場でもあります。

しかし、人気ゆえに私の好きなサイトの予約が中々取れないのです。

 

かつてはキャンプで5回、コテージ利用で1回来た事があります。

コテージも安くて快適で最高でした→過去記事コチラ

センターハウスの中。子供達が遊ぶ遊具も色々ある様です。

受付の風景。皆さんとても親切です。カード払いを始め各種の支払いが可能。

まあ、本当に広大な施設なのです。稚内の人が羨ましい。道立のこういった施設は北海道に幾つかありますが、コチラが最も豪華だと思います。

変な輩が入り込まない安心の入り口ゲート。

左手にはコテージ群。

キャンピングカーサイトのワンランク下のプライベートサイトは既に一杯です。ここでも良いのですが、結局近隣関係に対して気遣いが必要になります。

で、私が借りた「キャンピングカーサイト」たまたま誰かが歩いていましたが、ココが私の貸し切りスペースです。この日はサイト料だけで3,500円。意外と安いです。(入場料は大人1人500円)

昔はもっと高かったのですが、高過ぎてお客さんが埋まらなかったのでしょう。

まあ、航空写真を見てみて下さい。

どうですか。この解放感。長さだけで軽く50mはあるでしょう。

近隣のキャンパーの姿など全く見えません。勿論物音もほとんど聞こえません。

これが私が行った中で最も好きなキャンプサイトたる所以です。

到着して間もなく「邯鄲(カンタン)」を発見。邯鄲は鳴く虫の女王(鳴くのはオスだけですが)と呼ばれています。

邯鄲の鳴き声は本当に綺麗なんですよね。

普段は草むらに潜んでおり、中々見掛ける事はありません。

今回、新しく買ったテント「小川のTasso」を張ります。前回お話した通り、このテントは六・七・八角形で張る事が出来る画期的なテントです。

今回は一番背の高い六角形で張ってみます。

こんな感じ。私の持つテンマクのサーカスより一回り小さく、

テンティピのオリヴィン2より二回り位大きい感じ。

使いやすいサイズだと思います。

 

近年はこじんまりとしたオリヴィンを多用していましたが、

年を取ると広い方が良くなってきました。

テント内はコットを2つ置いてテーブルとチェア2つを置けそうな感じ。

このテントは一人でノビノビ使うのが良いでしょう。

2メートル以上の高さがあるので立って着替えが余裕で出来ます。

 

てっぺんの空気取り入れ口はヒモで自由自在に開閉できます。

(テンティピのテントと似たような機構)

見て下さい。このプライベート感。満足度200%。

稚内空港がそばにある為、時折飛行機が飛んでいます。

トイレ。綺麗です。

共同の炊事場。こちらも綺麗。(プライベートサイトとキャンピングカーサイトには電源及び炊事場があります)

フリーサイトはちょっと変わっていて、駐車場とサイトが連動して指定になっています。つまり利用人数の上限が決まっているのです。従いましてこのキャンプ場では混んで混んでグチャグチャ状態というのはありません。

 

シャワーや洗濯機がある棟。

男女それぞれ4つずつ無料のシャワールームがあり、AM5時からAM0時まで利用できます。前室が大きくて親子2人でも余裕で使えます。勿論扉は鍵付きです。

シャンプーとボディソープも完備。私が好きな匂いのものです。

シャワーを浴びたら夕食です。

カルビとマグロの太巻き。吸血昆虫もほとんどおらず、快適な夕食でした。

 

PM10時に就寝・・ZZZZ

 

 

AM1時に目が覚め、普段は絶対にしない夜食を頂きます。

コーヒー(グァテマラ)を淹れ、オードリーのオールナイトニッポンを聞きながら佇みます。近隣にテントが無いって本当に素晴らしい。

 

小一時間楽しんだら二度寝します・・

AM5時起床。清々しい朝です。夜間はずっと20℃の気温でパンツ一丁でシュラフに入り睡眠しました。

 

そういえば二度寝してすぐに外を歩くキツネの姿が外灯に照らされ、テントの幕に影絵のように映りました。怖かった・・。

こんな風に・・^^;

朝一でシャワーです。これでスッキリ。1日が始まります

朝食はホットサンド。最近こればかり。

今回はスパゲティサラダを入れました。

本当はAM9時位までキャンプ場にいようと思ったのですが、(早過ぎる出発をすると途中の飲食店が開いていない為) ライダーが次々に出発するのを見て我慢が出来ず、AM7時にキャンプ場を出発しました。

朝ドラ(朝のドライブ)は最高なんです。ましてやサロベツ原野や・・

オロロンラインを走るともなれば極上の気分に浸れます。

いつもの利尻富士が見えるポイント。

交通量が極めて少なく、本当にここは地球上なのか?と思ってしまうほど。

右手に海を見ながら地の果てに向かってずっと走り続けます。

オトンルイ発電所横を通過。

見て下さい。牧草ロール。1ロールは500キロ位あると聞いた事があります。

気温は22℃くらい。直射日光は少なく、何とも快適なドライブを楽しみました。

一番は交通量が少ない事ですね。心が解放されます。

今日の海は青くて綺麗。

この状況ではこの曲を聞かずにはいられない・・

 

海沿いのカーブを二つの夏過ぎて・・

 

夏のおぉぉ~クラクション・・

日差しが強くなってきたので霧立峠経由で帰ります。

山は日影があって体力の消耗が少なく済み、また運転自体も右に左にコーナーを駆け抜けて楽しいです。

霧立峠はライダーが時々ぶっ飛んで来るので注意。

幌加内。蕎麦畑が広がっています。収穫までもう少しです。

道道251号線、維文峠。

この道、ある区間はゴーカートコース位狭く、

交通量が少ないので楽しいです。

わが故郷、上川盆地に帰って参りました。懐かしき田んぼの風景。

温暖化の影響で稲の成長が早い。もう間もなく収穫でしょう。

帰宅後の洗車が猛烈に大変でした。ハネナガフキバッタが大量にラジエターに・・

幌加内の郊外で大量発生し、飛び交っていたのです。

泣きそうになりながら手で一つずつ取り除き、高圧洗浄機で流し切りました。

このバッタは主にイタドリやフキの葉を食べるらしいのですが、今年は雨が多く、温かい(暑い)為、食糧の植物が沢山育ち、大量発生しやすいそうです。

 

という事で・・また・・^^/